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<title>静岡県駿東郡長泉町西島歯科医院</title>
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<description>静岡県駿東郡長泉町の西島歯科医です。来院された方の人生の物語に耳を傾け、目下のお悩みのことを一緒に考え、生きがいのある健やかな暮らしをお手伝いします。</description>
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<copyright>Copyright 2008</copyright>
<pubDate>Thu, 14 Aug 2008 17:39:52 +0900</pubDate>
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<title>強く生きる　渡邊　美樹　[著]　&amp;#9825;&amp;#9825;&amp;#9825;</title>
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「青年社長」を読んでから、渡辺氏に興味が湧き著書を数冊読みましたが、あまりにも正論すぎて、しばらく距離を置いていました。書店で手に取り本を飛ばし読みすると、「農業問題は日本の命運にかかわる」の個所が心に響きました。購入しました。久しぶりに氏の著書に触れると、素直に腑に落ちました。時間が書き手と、読み手を変えました。五木寛之氏の死生観に近いものを感じます。「その事実を悲観的にとらえれば、人生のすべては死に至る過程であり、今日を生きることは死に一歩近づくことでいかないということになるでしょう」だから人生を逆算して、夢に日付を付けているのだと思います。なぜ夢を追うのか?　「わたしたちは心を高め、人間を磨くためにこそ、夢を必要とするのです。このことは『人は何のために生きるのか』という難題への私なりの解答にもなっているのです」この言葉に触れると、私の夢は狭小な私利私欲の塊でした。方向を間違えば、欲望の実現に向いてしまいます。夢＝エネルギーです。夢は二度叶います。事前と夢想の中と、現実の世界です。強さとは何か？　「『変わらなさ』に強さの源泉があるのです」頑固さとは違います。仕事に安定感があり、調子の波をコントロールすることができる人です。あるいは、人に接する時、いつも変わらない、態度や物腰です。そして静かさです。「静かに、健やかに、遠くまで行く」山登りの極意です。人生＝山登りです。凡事とは？　「『凡事』を生むことなく継続することで、彼らは職業としてのプロとなり、ひとかどの人物として基礎を固めたのです。当たり前のことを当たり前にやり抜く」私の尊敬するモンさんクレールの辻口博啓氏も同じことを言っています。「当たり前のことを当たり前に行う。＝基本に忠実に徹底して行う」「凡事徹底」ができる人が、仕事のプロです。私に最も欠如している能力です。嘆息してしまいました。プロとして自分を磨くことを決心しました。仕事とは何か?　私にとって仕事とは、夢中になれるもの、自分に喜びをもたらしてくれるものです。「仕事で一流の技量、プロと呼ばれるほどの能力を身につけるとしたら、泥くさい『滅私奉公』が必要な時が確かにあるのです。損得を離れ、自分のことは捨てて、目指す道以外のすべてを犠牲にして本気で打ち込む」「好きな仕事が見つからない、人生に打ち込むものがない。なぜ働かなくてはいけないのだろう、どう生きたらいいのだろう。そんな悩みを抱える人も少なくありません。しかし、生きるための地図を持って生れてくる人などこの世に一人もいません。誰にとっても、道というのはともかく歩いて行く先にようやく見えてくるのです。進むべき道が分からないから歩き出せないというのは、私に言わせれば、迷う順番が逆なのです」同感です。歩み出さなければ、立ち位置は何も変わりません。まずは、行動することです。顧客満足とは?　「顧客満足という言葉に『対価を求める』ソロバン勘定の臭いを感じることがあります」ではなぜお客様にサービスするのでしょうか?ここのところを私は履き違えていました。魂の込められていない上辺だけのサービスです。「そうすることが自分にとっても心地よいからです。お客様に尽くすし、お客様が喜んでくれることが、そのまま自分の喜びでもあるからです。だから極論してしまえば、私は顧客のためではなく、自分のためにサービスをしているともいえます」顧客満足＝自分へのサービスです。この高いステージを理解していなければ、サービスの神髄は理解できません。「サービスとは相手が『してほしいことをする』『してほしくないことをしない』ことに尽きます。そう考えれば、サービスとは『相手の心の深いところまで手を伸ばす』行為であることがわかってくるはずです」「心やさしき者が繁盛店を作る」サービス＝やさしさです。事業の目的とは？　私は、お金を稼ぐことに後ろめたい感覚を持ちます。金銭感覚を間違えると、身を滅ぼします。「事業の目的の軸が、『自分』にあるからだ。『自分のため』が夢の真ん中にあるから、欲を満たすことが後ろめたくて、恰好悪く思えるのだ。では、後ろめたくもなく、格好よい事業のやり方、会社のあり方とはどういうものだろう。それは、『人のため』ではないか━私はそのことに気づき、以来、事業の軸足を『自分のため』から『人のため』へ少ししずつ移動していこうと決めたのです」私には、渡邊氏のような確固たるコアはありませんが、来院者の方の幸せ、スタッフの幸せ、家族の幸せの循環が、私の幸福の源泉であると考えます。「生きている間に、どれだけのアリガトウを集めることができるか。それがその人の幸福を保証し、本当の富も担保するものだと思います」「ありがとうが幸福を保証する」ありがとうが、幸福の担保である。とても素敵な言葉です。ありがとうが集まる歯科医院作りが、成功のカギです。「食料自給率の低さ。今日本の自給率は四〇％を切っています。単純計算ながら、もし海外からの輸入がまったく途絶えたとしたら、私たちの十人に六人は飢えてしまうことになる」バイオエタノールへの転化や干ばつなどにより、食料不足が起き、戦略物質の様相を呈しています。国力が弱体化し、円の価値が下がり食糧の輸入がままならなくなったら、どうするのでしょうか?極端な保護政策、新規参入への規制、そのような目先だけの政策ではなく、抜本的な計画をなぜ立てないのでしょうか?憂います。「貧しい人には貧しい人の苦しみが理解できる。それは『心の幸せ』である。富める人には貧しい人の心がわからない。それは『心の不幸である』病気を知る人は病気で苦しむ人にやさしくなれる。それは『心の豊かさ』である。健康しか知らない人は病気の苦悩が理解できない。それは『心の貧しさ』である」心の貧しき歯科医師にならぬように、病気に寄り添いサポートします。一陣の涼風のような本でした。心から尊敬します。</description>
<link>http://www.nishijima-dental.net/blog/231.html</link>
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<pubDate>Thu, 14 Aug 2008 17:34:00 +0900</pubDate>
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<title>医療格差の時代　米山　公啓　[著]　&amp;#9825;</title>
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メタボって、なんですか？公に告示するなら、メタボリック症候群となぜ正しい語句を周知するように努めないのでしょうか。短縮するだけで、きな臭く聞こえます。自治医科大学の調査によれば、腹囲測定は測る位置、おなかの膨らませ方などによる誤差が多く、2000人の調査結果によれば、メタボリック症候群の人の死亡率は、そうでない人の1.09倍で、統計的な有意差がないそうです。医療費削減という大義名分の下、企業に受診率、健康指導の実施率が低いと、健保組合にペナルティーを科す制度になっています。つまり、自治体で行っていた健康診断を、健康保険組合に丸投げしただけです。結局、効果のない新たな巨大な医療マーケットを作り出し、コストのために、医療費が押し上げられることになりそうです。規制緩和は必要か？医療法人の株式会社化が進めば、来院者の利益に立脚したサービスが提供され大変いいように思います。利権がらみの規制が撤廃され、自由競争が促されます。はたしてそうでしょうか？最も懸念されるのは、外国資本、とくにアメリカ資本の参入です。徹底した利益追求から、競合病院を買収し、寡占化してから、強豪相手をなくし、高額な医療を行います。看護師を看護助手に代えて、不採算部門の課を閉鎖します。お金で優先順位を決めるような、医療格差がおこります。こんな病院を受診したいですか。金融自由化にもまれた、銀行のような様相を呈します。2004年からの新研修医制度が始まり、研修医が自由に研修先を選べるようになり、研修医が、大学の医局に残らなくなりました。そのために派遣先から医師を引き上げる事態が起こりました。研修医制度を改正したことにより、地域の中核病院が機能しなくなりました。私の時代は、医局に残ることが、憧れだったのに、想像を絶する様変わりです。厚労省の姑息的な医療改革の表れで、医師不足が起きていますが、このような事例もよくあります。「急性期病院は『診療所からの紹介率』[平均入院日数]『入院患者と外来患者の比率』によって規定され、診療所からの紹介率を上げて、入院期間を短くし、外来患者を減らすことが、経営上の重要課題になった。そのため急性期病院では、入院期間の短縮化を図り、外来部門を病院から切り離すよう努力してきた。ところが、2006年度にさらに改革があり、病院の診療報酬は看護職員の数によって規定されるようになった。まさにはしごをはずされた格好になった。しかし、このような朝令暮改を厚生労働省がするのは、これがはじめてではない。これまでも行ってきた戦略である。その手順はパターン化している。まず新しいルールを作り、そっちのほうに移行したほうが診療報酬も上がるようにする。医療機関はその規定を通るように努力する。ようやく移行し、ある程度効果が上がると、今度は新たなルールをつくり、別なほうへ誘導する」歯科では、掛り付け医の制度がなくなり、歯周病のメインテナンスができなくなりました。一生懸命予防に取り組んできた、歯科医師は、いままで、保険で行ってきた予防が、ある日を境に突然できなくなるのです。基幹にかかわる保険制度を、長期的なビジョンがないまま、いじくり回しすぎます。そのたびに、医師、歯科医師、薬剤師、来院者の方は、厚労省に翻弄されます。なぜ、刹那、姑息的に2年毎に制度を抜本的に変える必要があるのか。医師、歯科医師、薬剤師が、性悪だと考えているのかのようです。ある診療行為が突出していれば、すぐに診療報酬制度を変えます。これでは良い医療制度が育つわけがありません。本書を読んでみると、医療格差は、厚労省の稚拙な制度で作られているように思えてなりません。次回は、渡邊　美樹　氏の「強く、生きる」です。&amp;nbsp;</description>
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<pubDate>Wed, 13 Aug 2008 05:21:00 +0900</pubDate>
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<title>ラン　森　絵都　[著] &amp;#9825;&amp;#9825;&amp;#9825;</title>
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13歳で両親、弟を事故で亡くし、20歳で叔母を亡くした環が主人公です。彼女は現在22歳、身寄りがなく天涯孤独な境遇です。自分の周りで死が迫るほど、孤独感を味わうのではなく、亡くなった家族のほうに近づいてゆくような、死生観を持っています。現世に対する未練がなく、死後の世界が日増しに重みを増してゆきます。死者の世界が自分に近いと感じています。「この世に籍は置いてるけど、心の重心はあの世にあるみたいな。私、ちょっと頑張ればあの世とこの世の境界だって越えられそうな気がする」と思っています。近所の自転車店で、自転車を購入したことが縁となって、同じような境遇の店主の紺野さんと立ち話をするようになりました。飼い猫である、こよみが、亡くなったことを区切りに、紺野さんは、母親が一人暮らしをしている山形に帰りました。購入した自転車が故障気味であったので、紺野さんは田舎に帰るときに、環に自転車をプレセントしました。亡くなった息子さん大紀くんの誕生日のプレゼントに組み上げたオリジナルのロードバイクでした。彼は、完成する前に亡くなりました。環は自転車を、モナミ一号と名付け大切にし、いろんなところに出掛け、行動範囲が広がりました。そんな遠出のある日不思議な事が起こりました。自転車がまるで意志を持ったかのように、走り始めました。ブレーキは利かず、ペダルが勝手に回り続けます。死者たちが生活する冥界の、第一ステージへのレーンを超えたのでした。大紀くんの自転車の対する無念が憑依し、冥界に導いたのでした。大紀くんは、自転車と再会しなければ、未練を残して執着し、第二ステージに上がることができません。第二ステージとは、輪廻転生のおこる場所、生まれ変わって再び、下界に戻るところです。つまり、成仏できずにいます。9年ぶりに再会した家族は、温かく環を迎えてくれました。皆にこにこ迎えてくれました。２年ぶりに奈々美おばさんにも再開を果たしました。おばさんは、家族が穏やかになっているのに比べると、少しも変わっていませんでした。相変わらずの毒舌ぶりです。奈々美おばさんに２度目に再開した時に、もうこちらに来ないように諭されます。おばさんには、環が境遇に甘えて、憐憫されることに壁を感じ、心を閉ざして暮らしていることに歯がゆさを感じそれを告げます。言い合いになると決して引き下がらないおばさんが、口をつぐみました。環の家族のように溶けることが怖かったのです。ファーストステージは、前世を洗い流す場所でした。苦しい記憶や、悲しい記憶が溶けてなくなるのです。欠落した部分が、補われて皆均質化してセカンドステージに向かうのでした。かなり溶けている環の家族は、にこにこして怒りの感情がなく、お互いの記憶が共有された状態です。おばさんには、自分が自分でなくなるのを恐れていました。自分が自分でなくなる、環に意見が言えなくなります。そのようにして溶けた前世でのアイデンティティは、蒸気のように下界に染み渡り、下界でのすべての生物のエネルギーとなり還元されます。このままでは、環は、自立する機会を失い、再び家族を失うことになります。とけつつある家族に依存することは、環のチャンスを奪います。そのことを、溶けていないおばさんは、危惧しているのです。叔母は、モナミ一号の所有者である今野さんの息子さん大紀君を探し出しました。大紀君は、現世での自転車が忘れられなくて、１１年間その思いが溶けずに思い続けました。このままでは、セカンドステージに進めません。環は大貴君自転車を返す決心をします。ただし、あと５カ月だけ待ってもらいました。自力で、40kmのレーンを超えるために、マラソンに挑戦するトレーニングを積み、5カ月に久米島で、大会に挑戦する計画を組んだからです。環の自立絵の挑戦が始まりました。冥界に進んだ人たちは、溶けだして、過去の確執、過ちを赦して、忘却してくれる。だから、現生の人間は、過去を振り返らず、精一杯生きればいい。失敗しても必ず第一ステージでリセットされるのだから。自分が生きた証は、自然のエネルギーとなり、還元されます。それが本書の輪廻転生の解釈です。環が、マラソンのスタートラインを踏めば、家族は、第二ステージに進みます。環は、第一ステージの家族に会う必要がなくなりました。自立します。そして、一人ではない、必ず姿を変えて、再会するんだという思いを胸に刻むはずです。ゴールには、そんな環の姿を見て安心して第二ステージに進んだ、父、母、弟の思いが還元され、存在するのだから。次回は、米山　公啓　氏の「医療格差の時代」です。</description>
<link>http://www.nishijima-dental.net/blog/228.html</link>
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<pubDate>Sun, 10 Aug 2008 18:41:00 +0900</pubDate>
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<title>クルマ界のすごい12人　小沢　コージ　[著]  &amp;#9825;&amp;#9825;</title>
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アメリカ合衆国で、GM、フォード、クライスラーの３社のシェアより、日本メーカーのシェアが史上はじめて凌駕したとの記事が出ていました。その一方で、トヨタの４月〜６月期連結期北米地域の利益が、前年同月比９９％減の大幅減少だそうです。最大収益を上げていた、北米市場でほとんど利益を生み出せない状況です。急激な市場の変化で、大型車が売れなくなり、販売奨励金の積み増しが原因です。そして、日本国内では、ガソリンの急騰という逆風も受けて、販売台数は落ち続け、低迷しています。時代がかつてないほどのスピードで変貌しています。ようやく時代は、自動車を嗜好品としてではなく、道具として堅実なものを求める時期にきています。ワンボックスのような大きな車体に、音響設備、DVD、オットマン付きの椅子とまるで、家を小型化したような、歪曲したクルマ文化が矯正される時代が来ました。これらの車は、ドライバーのみの乗車で、空気を運んでいるなんて批判も聞こえています。エクステリアは、美しさがみじんも感じず、ガンダムのような顔つきです。そのようなクルマ社会から、時代は、小型車にパラダイムシフトしています。燃費は良く、道路の占有率が少なく、居住性が高いシンプルな虚飾を排した設計の車です。そして、運転することが、ファンならば言うことはありません。本質を求める時代が到来しました。良いものをじっくりと愛着がわくまで、長期間愛用する資質が求められつつあります。むやみな、馬力競争、5年ごとに繰り返されるモデルチェンジ。計画的な、陳腐化が前提では、所有することに喜びを感じず、愛玩できるわけがありません。そこのところを、自動車メーカーが理解しない限り、若者の、自動車離れを食い止めることはできません。もっとも、これは自動車ばかりでなく、携帯電話、カメラ、パソコン然りです。機能アップのもとに不必要なモデルチェンジが繰り返されています。これでは普遍性を理解する、美意識が芽生えるわけがありません。メーカー自らが、飽きっぽい日本人を作っています。そんな厳しいクルマ社会で、頑張っている人たちの物語です。同じような厳しい歯科医療業界に対するヒントがあるはずです。そのような気持ちのもと、読んでみました。鳥羽兼市、ガリバーインターナショナル代表取締役の言葉です。「なんでも楽しんでやればビジネスなんて簡単ですよ」好きこそものの上手なれ、自分の仕事を天職と考え、取り組んでいても、困難にぶつかれば、気持ちが萎え落ち込みます。楽しめなければ、天職でないのかもしれませんが、日々の仕事の中に小さなことに喜び見出す努力をして、楽しさを見つけ、天職と考えています。梁瀬次郎、ヤナセ名誉会長は、従業員の教育に特別な事は何もしていないと言っています。「一人前の営業マンの前に一人前の常識人たれ、というのがヤナセの本質なのである」それは、洗車、掃除、身だしなみ、先輩への敬いを徹底的に教え込むことです。私と、家内は、体育会系のクラブ出身ですので、この言葉に共感します。クラブでは、先輩が、挨拶、人の目を見て話すこと、前向きな姿勢、など基本的な事を教えてくれます。和田智、アウディAGシニアデザイナーは、日産を離れ、アウディに移籍したきっかけを語っています。アウディデザインは、人間の思想と形というものをシンクロさせるという発想で形を作っています。だから、あれほど、クールでありながら、エモーショナルなデザインができるのだと思います。私が今一番、心魅かれる自動車会社です。和田氏はそのデザインの根底をバウハウスの思想、タオに拠り所を求め「言葉が形を生む」と言っています。アウディのデザインは、饒舌です。アイキャッチャー、目が離せません。光岡進、光岡自動車代表取締役会長は、ホンダに続く10番目の国産自動車メーカーを立ち上げました。最新作オロチを見たら、驚きます。和のテイストを車のデザインに持ち込みました。何が氏をこれほどアグレッシブに駆り立てているのでしょうか？「物事は失敗するまでやらなければ分からない」氏が信じる一生の法則です。私は、失敗したら、そこから学ぼうとせず、止めてしまいます。失敗を成功の母と捉える発想がありませんから、それ以上伸びず、技術も習得できません。これからは、失敗の中の、金鉱見つけます。人を見る目も独特です。「住所は変わっていないか、彼女がずっと変わっていないか、仕事がずっと変わっていないか。これが安定していれば、問題なし」同感です。安定したスタッフは、この条件を満たしています。あとがきで著者が語っています。本書を書いた理由は、自動車に対する愛です。「実は、クルマ作りやクルマ関連ビジネスを起し、成功するためには根本な自動車愛、自動車への興味が不可欠である。ゲームやカーデザインはもちろん、販売や金型作りにも、『クルマ愛』は必要なのだ。クルマを単なる道具として捉えるだけでなく、『好き』だという気持ちこそが、クルマビジネスに邁進し、成功するための重要なキーとなる。それは、この本を読めばよくわかるだろう」すべての仕事に通じる心理です。仕事に対する興味、プライドを失わず、愛を持ち続けることです。最近、バイクが楽しくないそうです。なぜか？某大手二輪メーカーの元デザイナーが言っています。「今のバイクはバイクに乗っていない奴がデザインしている」「だから楽しくない」くるま好き、歯科好き、愛があることが、いい仕事をする、キーワードです。次回は、森　絵都　氏の「ラン」&amp;nbsp;です。See　you　soon！</description>
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<pubDate>Thu, 07 Aug 2008 18:33:00 +0900</pubDate>
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<title>あの夏を泳ぐ　天国の本屋　松久　淳＋田中　渉　[著] 　&amp;#9825;&amp;#9825;</title>
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パステル調の装画に魅せられて、購入しました。ペーター佐藤氏の絵が好きで、額装して、歯科医院に飾ってありますが、同じような魅力があります。表紙の絵に魅かれて本を買うなんて馬鹿げていますが、良くこのようにして本を買います。内容を余すことなく伝えている、素晴らしい絵だと思います。主人公の麻子が高校を卒業して、5年ぶりに水泳部のOB会に参加します。しかし、おぼろげな記憶ながら、街の様子が違うようです。母校までの道を歩いているうちに、道に迷います。その時、背後から老人に声をかけられます。プールを探していること、名前が麻子であることを、なぜか知っていました。その老人から、事情を説明するから、先にある本屋に行くように言われます。そこで告げられたことは、今いる世界は天国とのことでした。なぜ、現世で亡くなっていない麻子が天国にいるのでしょう。それは、その人にしかできない役目を理解するために、天国に来るのです。その役目を意識することが本書の楽しみ、コアのようです。麻子には、高校時代の同学年にイニシャルが同じ朝子というライバルがいました。その麻子は、同日、一年ぶりにOB会に出席していました。麻子が出席するというので、意識していましたが、天国にいる麻子には会えずじまいでした。ほっとしつつ、同時にがっかりもしました。ライバル関係の確執、コーチに対する淡い恋心のライバルでもあったからです。二人は高校一年の時、国体出場をかけた大会で、ふとしたことから諍いになり、出場を断念します。高校二年生の秋の国体出場予選を間近に控えたある日、想いを寄せたコーチが飛行機事故で不慮の死を遂げとことが知らされます。二人の結果は、平凡な成績に終わり、その後二人は本格的な泳ぎを止めてしまいます。二人の前から、コーチが去る時「このまま泳ぐことをやめないでくれ。何ヵ月後でも何年でもいい。必ずまた、泳いでくれ。おまえたちは俺の希望でもあるんだ」「その時はいつでも、俺はお前たちをゴールで待つ」と、告げます。麻子は泳ぎ続けますが、朝子は泳ぐのをやめてしまいました。麻子が短期に天国へ行ったのは、コーチとの約束を思い出すためです。コーチは天国にいました。瞳がグリーンです。それは、この世に、やり残したことがあったからです。「ゴールで待つ」と言っていたのに、事故によりそれが叶わなくなり、二人が泳ぐことをやめてしまった、遠因になったことに胸を痛めていました。老人は言います。彼は現世と、天国を繋ぐ移動士です。「それは思いあがりだ」「あの夏を君と過ごせたことが、今の彼女たちのすべてになっている。彼女たちはそれを知っている。麻子くんと朝子くんは、君に対してはありがとうと言いたいだけなのだよ」移動士は、麻子と朝子を取り違えました。泳ぎを止めたのは、朝子ですから、本来なら彼女に泳ぎを再開することを促すために、天国に呼ぶべきでした。移動士も愛すべき、おちょこちょいです。その人にしかできない役割。それは、泳いで、「ゴールで待つ」コーチの気持ちに応え、コーチの魂を鎮めることです。「落花流水＝相思相愛」「言葉は悪いが、君はきちんと死にきれていない。落ちる花が流れるべき川の流れをせき止めてしまったからだろう」天国では、行き場を失ったコーチの思いが、よどみをぐるぐると回っていました。それを流すのが、朝子の役目です。朝子はOB会の参加を機に、遠泳大会に参加する準備をします。そして泳ぎ始めました。遠泳中に天国の海から戻った麻子が水中に現れ、合流します。ゴールには、手を広げて、コーチが待っていてくれました。「ゴールで待つ」思いは成就された瞬間です。コーチの母親に託された、形見である玩具のトランシーバーに二人は奪いあうように語りかけます。「先輩ごめんね。水泳、続けなくて。でも今日、麻子と一緒に泳いでよくわかった。あたし、自分にいちばん大切なこと忘れてた。先輩があたしたちのこと、本気で思っていてくれたのも、あたしは本当に泳ぎ続けなくちゃいけないんだってことも、全部思い出したよ」「先輩、私たち、ちゃんとしたスイマーになれなかったけど、今日、ちゃんとゴールしたよ。先輩がいつも一緒にいてくれた海を、朝子とまた泳いだんだよ。すごく気持ちよかったよ。私たち、これからも泳ぐよ。もう会えなくても、必ず見ていてくれるの、私たち知っているから」突然トランシーバーが音を立て始めました。懐かしい声で「ゴールで待つ」と聞こえてきました。行動する限り、ゴールはあります。本の表紙の、麻子と朝子の区別はつきますか。天才肌で、美人の麻子。負けず嫌いで、努力家の朝子。魅力的な、二人が、表紙と裏表紙に描かれています。本書の好きなフレーズは、移動士のヤマキが麻子に告げた言葉です「人はまっとうすべき役割があるのだ。実はそれは、他人から見れば簡単にわかるくらいのものだが、だいたいの人間は、自分で自分の役割を見失ってしまう。本来、才能とう言葉はその役割を発揮している人間に向けられるべきものなんだ」私を他人から見て、歯科医師がまっとうすべき役割と映っていれば、無上の喜びです。次回は、小沢　コージ　氏の「クルマ界のすごい12人」です。</description>
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<pubDate>Sun, 03 Aug 2008 20:37:00 +0900</pubDate>
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<title>予約状況</title>
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予約状況○：空きあり　△：残り少し　&amp;times;：空きなし　−：休診日 2008年 08月 &amp;nbsp;日月火水木金土&amp;nbsp;&amp;nbsp;&amp;nbsp;&amp;nbsp;&amp;nbsp;&amp;nbsp;12午前&amp;nbsp;&amp;nbsp;&amp;nbsp;&amp;nbsp;&amp;nbsp;△△午後&amp;nbsp;&amp;nbsp;&amp;nbsp;&amp;nbsp;&amp;nbsp;△△&amp;nbsp;3456789午前−○○○−○○午後−○○○−○○&amp;nbsp;10111213141516午前−○○−−−−午後−○○−−−−&amp;nbsp;17181920212223午前−○○○−○○午後−○○○−○○&amp;nbsp;24252627282930午前−○○○−○○午後−○○○−○○&amp;nbsp;31&amp;nbsp;&amp;nbsp;&amp;nbsp;&amp;nbsp;&amp;nbsp;&amp;nbsp;午前−&amp;nbsp;&amp;nbsp;&amp;nbsp;&amp;nbsp;&amp;nbsp;&amp;nbsp;午後−&amp;nbsp;&amp;nbsp;&amp;nbsp;&amp;nbsp;&amp;nbsp;&amp;nbsp;</description>
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<pubDate>Thu, 31 Jul 2008 15:54:00 +0900</pubDate>
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<title>休診日</title>
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休診日2008年 08月 &amp;nbsp;日月火水木金土&amp;nbsp;&amp;nbsp;&amp;nbsp;&amp;nbsp;&amp;nbsp;&amp;nbsp;12午前&amp;nbsp;&amp;nbsp;&amp;nbsp;&amp;nbsp;&amp;nbsp;&amp;nbsp;&amp;nbsp;午後&amp;nbsp;&amp;nbsp;&amp;nbsp;&amp;nbsp;&amp;nbsp;&amp;nbsp;&amp;nbsp;&amp;nbsp;3456789午前休&amp;nbsp;&amp;nbsp;&amp;nbsp;休&amp;nbsp;&amp;nbsp;午後休&amp;nbsp;&amp;nbsp;&amp;nbsp;休&amp;nbsp;&amp;nbsp;&amp;nbsp;10111213141516午前休&amp;nbsp;&amp;nbsp;休休休休午後休&amp;nbsp;&amp;nbsp;休休休休&amp;nbsp;17181920212223午前休&amp;nbsp;&amp;nbsp;&amp;nbsp;休&amp;nbsp;&amp;nbsp;午後休&amp;nbsp;&amp;nbsp;&amp;nbsp;休&amp;nbsp;&amp;nbsp;&amp;nbsp;24252627282930午前休&amp;nbsp;&amp;nbsp;&amp;nbsp;休&amp;nbsp;&amp;nbsp;午後休&amp;nbsp;&amp;nbsp;&amp;nbsp;休&amp;nbsp;&amp;nbsp;&amp;nbsp;31&amp;nbsp;&amp;nbsp;&amp;nbsp;&amp;nbsp;&amp;nbsp;&amp;nbsp;午前休&amp;nbsp;&amp;nbsp;&amp;nbsp;&amp;nbsp;&amp;nbsp;&amp;nbsp;午後休&amp;nbsp;&amp;nbsp;&amp;nbsp;&amp;nbsp;&amp;nbsp;&amp;nbsp;</description>
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<pubDate>Thu, 31 Jul 2008 15:52:00 +0900</pubDate>
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<title>ラブコメ今昔　有川　浩　[著] 　&amp;#9825;&amp;#9825;</title>
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名前から判断して、有川氏は、男性であると思いこんでいました。本書の巻末に写真が出ていて初めて、女性であるとわかりました。話の内容が、自衛官、戦争など男っぽいものが多く、てっきり男性の作家と早とちりしていました。今にして思えば、主人公には、男勝りの溌剌とした女性が必ず登場しますから、さもありなんでした。著者の分身が随所に登場していました。本書は、自衛官の仕事に対する真摯な姿と、プライベートの珠玉のロマンチック・コメディーが描かれています。硬い職業と、柔らかい恋愛が、語られています。男性が上官であったり、女性が上官であったり、今時珍しい、身分の差に悩む姿があります。それが純情であるから、つい、微笑んでしまいます。仕事を離れたら、私たちと変わらぬ悩める人間であることに、揺れる心、心の機微が、生き生きと描かれています。そのギャップが、感動的です。自衛隊というと何か硬派なイメージを持ちますが、過酷な職務をこなしながら、恋愛では、とても不器用であることが、温かく描かれています。著者の、自衛官に対する思いが込められています。ひょっとしたら、入隊の経験があるのではと思いましたが、それは思いすごしのようです。入念な取材の賜です。それほど、職場の描き方に臨場感があります。私は、人生がやり直せるなら、歯科医師の医務官として自衛隊で働きたいなと思いました。それほど魅力的な人たちであふれた物語になっています。特に女性が魅力的です。男性以上に一途です。好きな対象物からは、他人が気付かないことに気付くものです。著者が自衛隊の細部を描けるように、本書にもこのようなシーンがありました。「爪がいつも機械油で真っ黒だったのに、次の日の朝になると爪がちゃんと白くなっているんだよ。そんなところはちゃんと女の子なんだなって気がついて、すごくかわいかった。いっこ気がつくと後はいくらでも見つかるよ」防衛大でのエリートパイロットの彼が、高卒の叩き上げ整備士の彼女を認めるシーンです。自分が命を預けられる整備をしてくれる。だから愛を告白しました。防大での五つも上のエリートに告白されて、からかうのは止めてくださいと最初は相手にしませんでした。空のエリートの気持ちは、真っ直ぐに届きました。 次回は、松久　淳、田中　渉　氏の「あの夏を泳ぐ　天国の本屋」です。&amp;nbsp;</description>
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<pubDate>Thu, 31 Jul 2008 15:33:00 +0900</pubDate>
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<title>八甲田山死の彷徨　新田　次郎　[著] 　&amp;#9825;&amp;#9825;</title>
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二男の文化祭に出掛けてきました。会場で何気なく図書クラブを覗くとアンケートに答えると展示してある本を一冊贈呈とのことでしたので、妻と娘が展示を見ている間に、待つことを兼ねて本書を読み始め、入手してきました。学生時代、山登りをしていましたので、山岳小説の本書はいつか読みたいと思っていました。思わぬ形で手に入れました。登山は、団体で行動しているときは、単独行よりも気を使います。メンバーの心を一つに掌握する必要があるからです。パティーの人数が増えるほど難しくなります。山登りは、ピークを目指すことを目標とせず、下山口に無事に降り立つことが、目標です。目的は、自然と心を一つにし、謙虚さを取し戻し、日常生活で鈍っている五感を鋭利にすることです。日露戦争の開戦から二年前の青森が舞台です。ロシア軍の侵攻の可能性にかの地は、緊張感が日増しに高まっていました。そこで、雪の中の機動力に優れるロシア軍の対策として雪中訓練となったわけです。しかし、上層部の単なる思い付きで、発案されました。十分な装備の開発、検討、基礎訓練もなされないまま、実行に移されました。全く厳寒に対する専用の装備が開発されていませんでした。何も対策が取られずに、今ある装備での行軍ですから、死に行くようなものです。なぜ、日帰りの雪中行軍での訓練、装備品を開発するために、実験、試験が繰り返されなかったのでしょうか？疑問です。軍部の体質でしょうか？弘前からの徳島隊は、３７名の小隊の編成で、少数精鋭主義を貫きました。全行程１１日間、二百数十キロの踏破です。小隊の編成ですが、行程が長すぎる気がします。一方、青森からの神田隊は２１０名の中隊の大所帯です。全行程３日間ですから、ルート事態は長過ぎず妥当な気がします。しかし、大隊本部が随行する計画を作成するように上司の少佐から命じられます。これは、神田少尉が指揮官でありながら、その隊に上部機関が存在します。指揮官である神田少尉の上に大隊本部の山田少佐が存在しますから命令の一本化が図れません。前途多難です。徳島隊は、事前の準備を十分して、現地の案内人を雇い、露営を行わず民宿に投宿しました。一方神田隊は、現地の案内人を付けず、民宿に宿泊する予定でしたが、初日から道に迷い、露営を余儀なくされます。どちらの隊に属しても、重い装備を携帯し、冬山に対する防寒具も十分でなかったのですから、天候が荒れれば、遭難の危険性があります。徳島隊は、準備が十分であり、命令系統が一本化されていて、成功は必至との評価がありますが、それらが運を呼び込んだのでしょう。まさに運も実力のうちです。決して神田隊の計画が無謀であったわけではありません。福島隊の11日間の行程に対して、3日間ですから、踏破する距離は妥当だと思います。初日から記録的な寒波が派生して訓練の中止を神田少尉は上官である山田少佐に進言しますが、聞き入れられませんでした。そこから、雪原の中の迷走が始まります。もし私が計画を立てるのであれば、現地に精通している案内人を雇って少数精鋭で、短期間の訓練を行うと思います。福島隊、神田隊の優れたところの融合です。軍の事務機関上層部の無計画、思いつきで、３１連隊と５連隊は雪中行軍の競争に駆り出されます。首脳部の、旧態依然とした、物象を無視した精神主義の気まぐれで、厳寒の自然の中で命を懸けなければなりません。遭難した、神田隊が、軍神のように崇められて、成功した福島隊が、しだいに話題にも乗らないようになるのは、赤穂浪士のような悲劇の結末を好む日本人の国民性でしょうか？これでは、成功したことが評価され、検証されて次に生かせなくなります。だから、神風が吹くことをまことしやかに信じるような、土壌ができたのだと思います。生還した山田大佐が、失敗の原因を語りました。「今回の遭難の最大の原因は自分が山と雪に対して知識がなかったからである。第二の原因は自分が神田少尉に任せて置いた指揮権を奪ってしまったことである。すべての原因はこの二つに含まれそしてその全責任は自分にある」と語り自ら命を絶ちます。生きて帰ったのは、命がけでそのことを報告するためでした。この遭難を期に陸軍の上層部は、再三要望を受けていた雪中行軍の装備の改善に取り組みます。生存者には高額の義損金が支払われました。ある者は、貯金をして利子を生活に充てようとしました。山林を買った者もいました。結果として、物に替えた人は、財産を残し、貯金した者は間もなくそれを使い果たしました。お金を、お金として運用しただけでは、生かせず、お金を媒体としてお金以外に形を変え働いてもらえば、生きてきます。お金の本質のような気がします。&amp;nbsp;&amp;nbsp; 士族出身者が優遇されて、軍の上層部を形成し、古色蒼然とした精神論がまかり通る組織に翻弄された結果の遭難です。そして、悲劇を美化する国民性が、その体質を刷新する力になりえないことが、二重、三重の悲劇を繰り返し続けました。現代の日本人に武士道が失われて久しいと嘆きの声が聞こえますが、精神論だけでは、危険です。これでは、あらゆる分野で外国に勝てません。バランスが大切だと思いますが、その感覚が失われているのが、問題であると私は考えます。次回は、有川　浩氏の「ラブコメ今昔」です。</description>
<link>http://www.nishijima-dental.net/blog/222.html</link>
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<pubDate>Sun, 27 Jul 2008 23:20:00 +0900</pubDate>
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<title>空の中　有川　浩　[著] &amp;#9825;&amp;#9825;</title>
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地球上に生物が誕生する前から、その生物は地球に生息していました。人間より高度な知性を持った無脊椎動物のような存在です。本文では白鯨と呼ばれています。大きさは数十キロ四方あり市町ぐらいの面積があります。エネルギーは光合成によって得ています。最初は地球上の水面ギリギリのところで生活していましたが、氷河期の訪れとともに、エネルギー採取のために水面上に出て、雲の上、高度2万メートルのところで生活しています。&amp;nbsp;今まで、人間と接触することはなく、四国沖の上空で静謐に生活していましたが、国産民間超音速航空機の限界高度試験の際、接触して飛行機は爆発炎上事故を起こします。その1ヶ月後自衛隊のＦ１５Ｊ戦闘機の実用上昇限度のトライアルの際、再び接触します。短期間に２度起こった同じ空域の事故の調査が開始され、その存在を人類が知るところとなります。戦闘機事故で父親を失った瞬は、海辺で今まで見たこともない奇妙な生物を拾います。父の訓練がある時は、上空を父が飛行するため、いつも海にきています。それは、父と衝突した白鯨の破片でした。父を失った寂しさから、その生物を溺愛します。その姿が、危うくてなんとか瞬から引き離そうと幼馴染の佳江は挑みますが、瞬に拒まれます。佳江は瞬の隣に住んでおり、「強い黒髪をポニーテールに結んだジーンズ姿の少女だ。美少女と呼んでも差し支えない顔立ちだが、惜しむらくは眉が女の子としてはかなり凛々しい」と記述されています。一本気の正義感が強い活発な少女が想像されます。会話がすべて土佐弁で、衒わない気質が生き生きと伝わってきます。今は亡き瞬の祖父と懇意であった「宮じい」こと宮田喜三郎は、瞬のことに心痛め、時々様子をうかがいに寄ってくれます。仁淀川の知れ渡った川魚師です。宮じいは、川と共に生きていますから、自然に逆らうことなく、共生しています。この宮じいの理屈ではない自然と共に生きてきた叡智と佳江の瞬を想う気持ちが、間違った方向に向かった瞬を引き戻します。二人の高知弁が、とても効果的に素朴な気持ちを伝えます。直球のようにそれぞれの生活を背景とした、正義の力として、胸を打ちます。生活を背景とした正義がいろんな思惑の上に成り立っていますが、宮じいと佳江には、打算がありません。人間の生活の向上のもとに、自然破壊、自然をコントロールしようとして、人類は、地球のバランスを崩してきました。その結果、自らの生存が脅かされるような環境になってきました。本書を読むと、正義とは何か、人間とは何か、全てが、自然が基準になって、それから外れることは、進むべき道が間違っていると、考えさせられました。白鯨も弾道ミサイルを発射されて、無数に分裂しました。それを契機に人類を攻撃し、人類滅亡の危機を迎えました。白鯨は人間と接触を望んでいませんでした。一方的に人類が白鯨のテリトリーを侵害しただけなのです。「すべてを孕む深淵の中に彼はいた。彼はその信念に存在することを望み、彼の望みを阻む物質はその信念に存在せず、彼はこれから先にかけても既定の事実のように、何らの齟齬も瑕疵もなく存在し続ける」これが、自然と白鯨の意志です。自然に触れないと、傲慢になり、畏怖の念がなくなります。そして、尊敬する事を忘れ、均衡が崩れ、バランス感覚を失います。人間も自然の一部として、この環境を破壊せずに生きるべきであると思いを新たにしました。自然の中に真理、正義が存在するように思います。何かを判断するときに、自然の摂理にのっとっているかどうかが、基準になりそうです。何かに迷ったら、斎藤一人氏が言うように自分が楽しい方を選択するとは、そのようなことではないのでしょうか？楽しいことは楽な道ではありません。自然の摂理に外れていない、共存することに正直な心です。瞬と佳江を取り上げましたが、有川氏の小説には、とても魅力的なカップルが必ず登場します。特に女性の方は、男勝りの勝気な女性がモチーフです。今回もうひと組の主人公の男女が登場します。事故調査委員の春名高巳と事故機と一緒に編隊を組んだ武田光稀三尉です。著者が意図したように女性的な名前が、男性で、男性的な名前が、女性です。とても微笑ましいカップルです。高知弁と共に、鮮度の良い二人の会話を楽しんでください。勝気な男勝りの主人公に触れるのも、有川氏の小説を読む楽しみの一つです。次回は&amp;nbsp;、新田次郎氏の「&amp;nbsp;八甲田山死の彷徨」です。</description>
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<pubDate>Mon, 21 Jul 2008 16:40:00 +0900</pubDate>
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